2020-11-26から1日間の記事一覧

山内経之 1339年の戦場からの手紙 その21

【その後の常陸合戦】 〈駒城の落城〉山内経之がいつ死んだのかは不明である。おそらくは最後の手紙を書いた暦応2年(1339)の12月中か、遅くても翌年のはじめのことだろう。経之が身罷ったことでこの駄文の目的も終わったが、常陸合戦そのものはこれ…

山内経之 1339年の戦場からの手紙 その20

【混迷深まる城攻め、経之の最期】 〈進退窮まる北朝勢〉駒城攻めが停滞するにともない、北朝勢のあいだで疑問や厭戦気分がただよい始めている。高師冬は、経之の主筋と思われる山内首藤時通宛の12月13日付の奉書で、「この合戦の最中に多くの軍勢がいくさを…

山内経之 1339年の戦場からの手紙 その19

【駒城合戦第二幕】 〈第2次駒城攻撃〉矢部定藤の軍忠状によるとこの11月7日の戦闘は前回とは違い、高師冬の北朝勢は積極果敢に攻めている。前回は破れなかった内構の矢倉を突破して戦っている(「越内構矢倉」)。この内構の矢倉とは何を意味するのかよ…